エゴか愛かなんて、切り分けられるはずがない。

ミッションについてセミナーで話していると、”世のため人のため”、”崇高”、”純粋”、”私利私欲はいけない””誰かのための役に立つ”、”偉大”などなど・・・

 

そんなんいちいち考えてたら、疲れませんか?というものを求めている方がいます。

 

確かに、世の中を動かすような大きなミッションを生きているように見える方が、素晴らしく見えることがあるでしょうが、それは、見方を変えると、とんでもなく大きなエゴなのです。

 

人の役にたちたいというのも、一見するとエゴには見えにくいですが確実にエゴです。

その人たちをある意味コントロールしたいということです。

 

世の中をこうしたいというのもエゴです。

人間の目で見ると、一見悲しい出来事でも、次の何かに繋がるものかもしれない。

 

それを認めないのはエゴと思えませんか?

 

地球のためとか、次世代の子供達のためなんて、もうとてつもない壮大なエゴです。

 

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つまり、どこからどこまでいっても

エゴか愛かを切り分けることはできません。

 

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いちいち『これはミッションじゃない』『これはエゴかも知れない・・・』なんて不安に思うこと自体が本来は、いらないのです。

 

それは、もしかしたら本来用意されている流れを、邪魔していることになっている可能性すらあるのです。

 

エゴか愛といった、形にこだわりすぎればすごるほど、僕らの世界は窮屈になっていくのです。

 

それどころか、僕らは生まれた瞬間に、すでにだれか人の役に立っている可能性が高いのです。

 

それに気付いたのは、娘が生まれたときです。

 

彼女は生まれた直後は目を閉じて横になっていることしかできません。

息を吸って吐いて、なにもすることはできません。

 

でも、僕ら夫婦の両親が、彼女を手の中で抱きしめたとき、僕が世界一周旅行に連れていくよりも、はるかに深いであろう悦びを感じていることがわかりました。

 

この時に、僕は気が付きました。

すでに、産まれた瞬間に自分は親孝行が終わったんだということに。

 

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つまり、かなりの人がこの世界に

生まれてきた時点で、

既に人の役に立っているのです。

それで十分なのです。

 

これは、愛とは言えないでしょうか?

つまり、あなたも僕も存在している

ただそれだけで、すでに愛そのものなのです。

 

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生まれた時点で役に立っているのに、なんであえて必死に付け加えようとするのでしょうか。

 

すでに何かの役に立つという土台に立っているのであれば、あとは、自分をどう表現していくかです。

 

つまりは日々自分の内側、インスピレーションからくるものを形にすること。

 

そちらを意識していくことで次第にあなたの内側、つまりは愛が世界に表現されていることを実感することでしょう。

 

そして、僕自身も自分の内側から湧いてくる、その想いでこのメソッドを今日もお伝えしてます。

 

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