この世界にある、あらゆる美しさとは自分の本質であることを知る手がかりになるもの

僕らは、本来この世界の真実、ありとあらゆるものと通じていて、その本来の姿を知っています。


そして、多くの場合には、それに「気づいていなかったことにしている」のです。


もともと、目覚めている意識にあるのに、わざわざ眠っている意識に身をおいているのです。


その上で「わからない」を体験しています。

「わかっている」自分にとっては、この世界の美しさとは、当たり前すぎてなんとなく通り過ぎてしまうかも知れません。


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しかしながら、そこから
「(どこかで本当は知っている)なにか」

を探し求めて、僕らは旅にでるのです。


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本当は、ずっとずっとこの世界の美しさも、豊かさも、色とりどりの輝きも、すべてとひとつであり、片時も離れたことなどないのに、敢えて目を閉じ、耳を塞ぎ、感覚を鈍くさせて……


そこまでして、改めて実感をしたかったのです。


この世界の「真の姿」から敢えて離れて遠くへ、遠くへ行き、改めて出会うことで”それ”を実感したかったのです。


その「閉ざされた世界」をリアルに感じ、事実と捉えながらも、どこかで「これは本来ではない」とどこかで感じながら、“なにか”を追い求めているのです。


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その“なにか”こそが、
僕たちそのものなのです。


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すなわち、この世界におけるありとあらゆる、醜さ、汚さ、意地の悪さ、嘲り、厳しさ……。

どれだけ、それらを「現実」と捉えてしまったとしても、それらは「自分そのもの」ではないとどこかで僕らは知っていて、『真実』というものをどこかで体験したいのです。


額にある第6チャクラは、真理や自分を超えるものとの繋がりと関係してきます。


さらには、それらも含めてすべて「じぶん」であることを思い出す鍵となるものにもなるのです。


そして、そこに目覚めるとき、「ありとあらゆる美しさ」こそが、僕らの存在そのものであり、自分自身が“それ”であったことを思い出すのです。

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