僕らが振動・鼓動そのものとなっている時には、世界を振動させている。


喉にある第5チャクラは表現と関係してきます。


僕らが、そのときどきで湧いてきている感覚や想いを素直にそのまま表現したときには、僕ら自身が “感覚や想いそのもの” となっています。


僕らが、感覚や想いを素直に表現できないときには、どこか躊躇が生まれています。


僕らが、感じている感覚や想いを素直にそのまま表現できないときには、外側の世界に出したときになにが起きるか分からないという恐れを感じているのです。


『 こんなこと言っても大丈夫なのかな? 』
『 嫌われないかな? 』
『 誰かを傷つけてしまわないかな? 』
『 嫉妬されないかな? 』
『 常識はずれと思われないかな? 』
『 馬鹿にされないのかな? 』
『 いやいやもっと慎重に考えないと・・ 』


こういった第5チャクラへの制限がかかればかかるほど、僕らのいる世界は閉塞感のある世界になっていきます。


そして、僕らが自分の内なる想いを表現できていないときには欲求不満と満たされない何かを僕らは感じてしまうのです。


それは、世界に僕ら自身を理解されていないという感覚。

世界に受け入れてもらっていない感覚。

世界に認められていない感覚。


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この感覚があればあるほど、
僕らは『認めて欲しい!』という
想いに支配されるようになります。

そして、そのスタートは、
自分の本音や湧いてきている感覚や衝動に
素直に生きていないから起きているのです。


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僕らが、『認めて欲しい!』という想いに支配されているときには、その原因を外側に求めます。


両親、家族、夫、妻、子ども、上司、部下、友人、社会、世の中・・・


または、形あるもので求めるようになっていきます。


知識、実績、人望、権力、賞賛、ブランド、年収、肩書、体系、ファッション・・


でも、そのような形あるもの、外側にあるものは全て “記号” なんです。


僕らは、”記号” をいくら認められても褒められても嬉しいという実感は湧いてこないのです。


どこかでそれを “本当は自分じゃない” と分かっているからです。


“本当は自分じゃない” ものをいくら認められても褒めれても、心の奥にある、”それ” に触れてもらっている実感など得ることはできないのです。


“それ” に触れてもらっている実感を得るためには、”それ” を世界に出すということなんです。


世界に”それ” を表現するということなんです。


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あなたが表現したい “それ” は、
必ず内側から湧いてきます。

そして、それを自由に
表現しているときにはあなたは
“それそのもの” とひとつになり、
“それそのもの” の振動・鼓動となっています。


________________ +・・


僕らが”それそのもの” の振動・鼓動となっている時には、世界を振動させています。


そして、”それそのもの” の振動・鼓動を世界に受け止めてもらったときに、始めて “それ” を受け止めてもらったと実感できるんです。


喉にある第5チャクラは表現と関係してきます。


その表現とは、内側にあるものを外側の世界にアウトプットするということです。


そして、僕らの内側にあるものがこの世界に表れるほど、この世界は彩り豊かになり、同時に生きている実感をもその世界で得られるようになるのです。

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